わたしたちのこれまで
明治36年(1903年)、中山太陽堂として創業した私たちクラブコスメチックス。
いつの時代に合っても、地に足をつけ、より多くの女性に美しさをお届けすることに専心し、進化し続けてきました。
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1903明治36年
わたしたちのはじまり
中山太一、神戸市花隈町で洋品雑貨と化粧品卸業を始める。
商号「中山太陽堂」。
謹厳実直な性格の太一は「商品に偽りなきものは最後の勝者なり」を信条とし、創業から3年後、
製造業に転身をはかる。 -
1906明治39年
「クラブ洗粉」の大ヒット
自社製品第一号の「クラブ洗粉」は、外国製石鹸に負けない洗浄力や使用感、香りに加え、
肌あれの心配がないと大ヒットした。
「洗粉のクラブ」として、明治年間、化粧品界の四大覇者の一つに数えられるなど、
向かうところ敵なしの勢いだった。 -
1911明治44年
「クラブ美身クリーム」の登場
製造技術を英国人技師から学び、「日やけ止」「あれ止」を提唱し、
のちに中山太陽堂を支える黄金商品となった。
一般的には「バニシングクリーム」と呼ばれ、肌にとけ込むような使用感が特徴。 -
1935昭和10年
いち早く天然ホルモンに着目し、
商品化乳液を皮きりに、クリーム、白粉など天然ホルモンを配合した新商品を次々に発売。
「クラブホルモンクリーム」は現在も販売されており、根強いファンの支持に応えている。 -
1958昭和33年
新しい時代にフィット
「クラブ ラブシリーズ」戦後すぐから高度成長への転換期。
そんな時代の風潮に合ったハイティーン専用商品「クラブ ラブシリーズ」は、新時代にマッチした商品イメージと、斬新なデザインが若い女性の人気を得た。 -
1971昭和46年
社名を「クラブコスメチックス」
と改称新生「クラブ」へのイメージアップを図り、かつ、ファッション産業への担い手にふさわしい名称にと、創業から68年目に会社名を「株式会社 クラブコスメチックス」に改称。 化粧品メーカーとして出発を果たした。
フォトライブラリー
懐かしき化粧品
明治~昭和初期、現在の「クラブ洗粉」「クラブ美身クリーム」はこのような美術缶やガラス容器に入っていました。
女性ホルモンが配合された「薬用クラブ美身クリーム」は後に「クラブホルモンクリーム」となり、現在も当時の容器の形のまま販売しています。
華麗なる広告
初代社長の中山太一は広告王とも呼ばれ、あふれるアイデアを駆使して商品を紹介しました。
配達と宣伝を兼ね備えた荷車、芸者をモデルにし呉服店(現在の百貨店)とタイアップした美人写真広告、美人を描いたポスターはそれぞれに人々の注目を集めました。
プラトン社の展開
大正11年、中山太陽堂の宣伝戦略の一環としてプラトン社を創設。
山六郎や山名文夫が手がけた美麗なデザインは、現在もなおモダンデザイン史の分野でも高い評価を受けています。
裏表紙、中面にはクラブの商品広告が掲載されています。